自分の人生には牛角あり

学生時代、毎日のように遊んでいた地元の仲間達。
月の3分の1は、仲間の家に泊まり込んでゴロゴロしていました。

時間はあっても、お金をあまり持っていない学生にとっては、
当時「赤看板」の代表格、「つぼ八」「養老の瀧」「白木屋」が溜まり場でした。
もう20年も前の話になりますので、まだ、「和民」もそれほどの出店攻勢をかけていなかった頃ですね。

ですから、「焼肉」だなんて高嶺の花。
とてもじゃないけど、学生の身分でホイホイいけるようなところではありません。

そんな時、地元の悪友であり、大の親友の一人が、
「おい、安くてうまい焼肉屋ができたみたいだぞ!早速行こう!」と、興奮した感じで誘ってきました。

三軒茶屋の栄通り手前、もう住宅街に差し掛かろうという場所の半地下に、そのお店はありました。
お店の名前は、「七輪」

美味しい焼肉を、学生でも食べられる単価で提供するお店として、
一時は、集まれば「七輪」というくらい地元仲間と利用させてもらいました。

今ではとても有名な話になっていますが、
当時は「クレームや悪口を聞かせてくれたら、300円を進呈する。」という驚きの手法で
店舗レベルを改善されていった逸話のあるお店です。

そうです。
このお店は、現 株式会社ダイニングイノベーション 西山知義社長が立ち上げられた
「炭火焼肉酒家 牛角」の前身のお店だったのです。

当時の自分は、後々そのような巨大チェーンになることなど知る由もなく、
ただただ、美味しい焼肉とビールと親友たちとの会話を楽しませてくれるお店としてリピートさせて頂いていました。
学生時代の良き思い出を作ってくれた青春の一ページとして、「七輪」は自分の胸に刻まれています。


「七輪」を紹介してくれた、大の親友。
こいつと一番通ったのは言うまでもなく、こいつと良く語った場所でもありました。
後に結婚する妻と付き合うきっかけをつくってくれたのも、彼の言葉の後押しがあったからです。

その親友は交通事故で突然他界しました。

当時、資格試験に失敗して、就職浪人となった自分は、
気にかけてくれていた彼に、内定の報告もできないままでした。


その後、地元の仲間たちも就職して忙しくなり、会う事も遊ぶ事もめっきり少なくなり、
いつしか、「七輪」の存在も忘れ、彼が他界した後は一度も訪れることはありませんでした。


私が、屋号を変えた「七輪」に再会するのは、さらにその2年後のことでした。

(その2へ続きます。)
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